「葵祭と日本の自然感」 河村晴久氏 2023 5/23

コラム紹介

2023 5月23日(火) 「葵祭と日本の自然感」
河村晴久氏 能楽師・同志社大学客員教授

ではよろしくお願いいたします。
今日はですね「葵祭と日本の自然感」というタイトルをつけました。と言いますのは、5月15日は京都で葵祭が行われるんですね。 もう何とか町の話題は葵祭の話題ということで、

この葵の葉っぱをたくさん飾って、
こういうことなんですね。

この上も、これも、葵。この胸元も葵。全部、葵を飾ってるんですね。 牛車もそうです。 ちなみにこの一番右端に立ってます、これ、私の娘でございます。7年前です。

本来、「賀茂の祭り」と言うんですが、

元禄7年に祭りを再興したときに、いろんなものに、葵で飾り立てるようになりましたのでそれ以来、『葵祭』と言うようになったんです。
さて、これ京都の地図は、この鴨川と高野川はY字型になって流れてい、というわかりやすい地形なんですけど、
この合流点にあるここが下鴨神社。 そして、このもうちょっと西上の方のところにある、これ、上賀茂神社。 この祭りは、この京都御所を出発した行列が、東へ行って、ずっと北へ行って、 ここ下鴨神社、お参りして、それからこっち行って、鴨川沿いにずっと北上して、 で、上賀茂神社へお参りに行く、と。 「朝廷から神社へお参りに行く」、というそういうものなんですね。
(*1)〈賀茂川と鴨川〉

話がちょっと変わります。
稲妻でございますね。雷による稲妻。
で、科学の皆様にこんなのお出しするのが恥ずかしいんですが、

Wikipediaに載ってる、学生さんには ”Wikipediaは見るな”、と常々言うてる、その私がWikipedia引きましたが、
「窒素」の割合って、ものすごく大きいんですね、空気中で。 で、窒素が増えると穀物がよく実る。窒素肥料があるように。 で、高校のときに習いました、「高圧電流の空中放電による窒素同化作用」ですか。 要は、”雷が多い年には実りがある”ということから、 自然の、その経験の中で、”雷に対する信仰” が生まれてくる。 その”雷信仰”があったのが、この上賀茂の場所なんですよね。 元々、雷神、雷の神様を祀る、ということ。 で、こういうの、私は科学専門でないので、

二酸化炭素、大問題ですけど、実に少ないんですよね、これ。割合から考えると、二酸化炭素というのは。
ここがちょっと増えるだけで、えらいことになる、という、そういうことなんですよね。 と、つくづく、この表を見て思いましたわけです。

さて、今度は神話の世界です。
「山城の國の風土記」(*2)というもの、これは岩波の「日本古典文学大系」(*3)か ら引っ張ってまいりましたんですけども、
奈良時代、日本全国土、いろんな地史を書いたものが「風土記」。
ところがその「風土記」というものが全部残ってませんでね、今、注釈書の中にだけちょろっと引いてあるのが読めるんですね。
幸い、「山城の國の風土記」、っていうのは、「釈日本紀」(*4)という中に引いてあるのでわかるんですけれども、
「神倭石余比古(かむやまといはれひこ)・神武天皇」がですね、賀茂のご先祖さん、御前 (みさき)に立ってずっと招いてきて、そして葛木(山)の峯に来た、と。
神武の東征神話の中で、”八咫烏になって先導した”、というのが、この「賀茂」の氏族のご先祖さんになります。
そこから、「山代の国の岡田の賀茂」に至って、さらに木津川(「山代河」)に従って、奈良から北向いてですね、「葛野河(かどのがは・桂川)」と「賀茂河(川)」と来て、
そして、現在のところに来た、
って言うんですね。

で、ここのところの瀬見の石川の「瀬見の小川」っていうのは、今の下鴨神社のところです。
そして、その次のところに、 「玉依日賈(たまよりひめ)」(*5)という子供が生まれた、っていうんですよね。
その「玉依日賈」が「石川の瀬見の小川」つまり賀茂川で川遊びしたときに、「丹塗矢(にぬりのや)」(*6)が流れてきて持って帰ったら男の子が生まれた。
この男の子、お父さんわからないので、おじいさん(賀茂の「建角身命(たけつのみのみこと)」)が家作って、扉閉じて、そしてお酒飲んで、で、七日七夜、宴会やって、
この子供に、”あなたのお父さんにこの盃渡せ”、と言うたら、

盃を持って、天に昇がっていって、屋根破ってですね、天に上がって、雷になった、と。
で、このおじいさんというのが、今、現在は、鴨川の合流点にいる「賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)」、
お母さんは同じく下鴨にいる「賀茂御祖(かものみおや)の神」。
で、息子はこの「火雷神(ほのいかつちのかみ)」(*7)
で、「可茂別雷神命(かもわけいかつちのみこと)」という現在の上賀茂神社の神様である、という、こういう神話なんです。(*8)
つまり、「丹塗矢(にぬりのや)」が流れてきて、賀茂の娘さんのとこ行って、子供が生ま れて、
で、おじいさんとお母さんは「下鴨」に祀り、 息子は雷になって「上賀茂」に祀った、という。こういう神話なんですね。 これを元にしてできたのが、現在の上賀茂神社でございます。

上賀茂の奥の方にこういう「神山(こうやま)」という山がございまして、これ京都産業大学のあるところですけども、ここがその元々の賀茂の神社があったところです。

そして、「丹塗りの矢」、これ破魔矢として毎年お正月配られて、私の方はこの下鴨神社へ毎年奉納に、朝の六時に、正月一日の六時、真っ暗な中で、謡を謡いますんです。
そのときに、いつも、いただいて帰ってくるものなんですけれどもね。
欽明天皇の567年、これが賀茂の祭りの始まりです。
もちろん、平安京以前の話です。
天地、収まらなかって、五穀実らなかったので、お祈りをして、
お告げによって、
”馬には鈴をかけて、人は、猪頭(ししがしら)をかぶって、駆競(かけくらべ)したら”
五穀豊穣した、と。
「四月の吉日」、っていうのは、これ、「酉の日」なんですけどね、それを今、新暦に翻訳 して五月十五日、という日が出てくるんですけれど、
この567年から、やり続けた祭、だということです。

弘仁10年(819年)には、国の行事になってしまいます。 一番大事な行事です。
応仁の乱から、元禄6年までと、明治のしばらくと,

戦争中ですね、この間の期間、しばらく無くなったんですけれども、 とにかくやってることはずっと続いてる、っていう、こういう祭りでございます。
例えば「日本紀略」(*9)、966年のここですよね、 これ四月の酉の日です。その日に賀茂の祭りやってる、と、 こんな調子でいろいろと、様々な記録が載ってる。 これ「日本紀略」っていう「六国史」、「日本書紀」から続くもんですけど、
私、学生時代こういうものをずっと読むようなことやってまして、歴史は、もうこれ近所のことが書いてあるのでね、面白くて仕方がなかった、という、そういう学生時代を送っておりました。
そしてですね、次は、行事だけお話ししますけれども、実にたくさんの行事、

流鏑馬をやって、

禊をして、
矢で魔を払い、

競馬(くらべうま)(*10)をし、

そしてこういう別の芸能するお祭りがあり、
で、いよいよ行列がある、と。

現在、京都の町で、今年の斎王代さん(*11)ですけどもね、この女性がやっぱり一番目立つんですよね。だから祭りの代表に思われるんですけれども、
実は、これは、「斎王 代」、
本当は「斎王」(*12)さん、天皇の内親王の女の子、未婚の女の子が神様に仕えるんですが、それが鎌倉(時代)からなくなってたんです。
で、実に最近、昭和の31年にこの行列復活したときに、内親王さんに来てもらうんじゃなくて、市民から選ぼう、ということで、「代 ‐ 代わり」っていうのになって、
町の人が選ばれる、と、こうなっております。
なんて言っても一番目立つのはこの人ですんでね。

で、こういうその5月15日、これ一番大事なことは、 「朝廷からお参りに行く」、ということで、 この黒い(装束を身につけた)方、これが『勅使』。 本当は祭りの主役、この人なんです。 この人が、「御所から下鴨へ行き、上賀茂へ行き、天皇に代わってお参りする」、 という、こういうお祭りでございます。

で、そこんとこで仕えている斎王さんが、この人、元々は、西陣の方に住んではるんです、 普段は。
この勅使の行列、一緒になって祀りに行く、と。
で、これ下鴨神社について、

で、勅使さんがお参りをして、
今度はまた移動して、上賀茂へ行って、

上賀茂神社でお参りする、と。
ちょっと、付け足しの話ですけど、
これ、今、こんなの着てはる。これ、作ったのがね、喜多川平朗さん(*13)という人間国宝なんですけども、

こんなすごい上等の、いいの作らはる。
皇室のものやとか、天皇の即位のときだとか、元服の時とか、皆ここでやってはるんですけども、
この喜多川平朗さん、これ、実は私の家の隣なんです。亡くなって、今、息子の俵二さん (*14)、この人も人間国宝。代々、
これは、平朗さんで、これ俵二さんですね。
隣の人間国宝って、まさに作ってはる人が、近所に居はります。

で、「車争い」だとか、エピソードはいろいろあって、

当日はこういうところ、回っていくということなのですが、
さて、今日の主題の方に入りますが、この祭り、元々が「天変地異」に対する祭りでありまして、五穀豊穣を願うことであった、と。
その自然というものに対して、お祈りするしかないわけですよね。
それをやって、その祭りが京都に、古いところにあるからというので、平安京が来る以前から祭りをして平安京の人もやり続けて、「国の行事」になっていく。
祇園祭は有名なんですが、あれ、「町の人の行事」なんですね。
こちらは「朝廷の行事」。
で、貴族というものは、自然のままで、自然に逆らうことなく、それに従って生活し、
一つ大事なのは、『継続する』ということです。やり続けるということなんです。
で、その日記を書いておりまして、
”京都の町は平安時代から現代に至るまで、一日も欠ける日が無い”、っていうんです。書いた必ず記録があるんです。
その日記というものは、心の動きを書くような、”失恋してこんな思いました”、とか、そんなことを書くの目的じゃなくって、
全てその「業務記録」みたいなもんですね。

こういう行事をやって、何をどうやって、どんな順番に、何をどうした、ということを、確実に書き留めます。
それは、”来年またやるため”なんです。
「例年通り」という、”やり続ける”ことにものすごく意義を感じるんですよね。
これが、日本の文化の根底にある。
『継続する』、ということがものすごく大事なことなんです。
『伝統』ということですけども、それは『継続し続ける』。
当然のことながら、継続し続けているうちには世の中変わっていきます。
世の中変わったときに、いかにそれを変えずに、「本質を変えずに」、今の世の中に合わす か、という、この考え方が貴族の中にものすごくあるんですよね。
で、武士が力を持っても、だから、天皇なんか、殺そうと思ったら簡単に、武士の力持ったら殺せる。でも、絶対にそれはしない。天皇というもののその権威がずっと続く。
だから、これ、政治力は無くていいんですよね。
政治やってるのは武士です。だけれども、その、何ていうか、文化としてのものは継続し続ける、これを尊重する。
そこに価値を見出す、というのが、日本人のこれまでの見方だったわけです。
「能」というものは、室町時代にできて、これも従来何遍も言ってますような、
「祝言」と「鎮魂」と、それから「自然との和合」ということなんですけれども、
結局その貴族文化の中にこれが入ったことによりまして、
「自然に対する、和合していくという想い」、「継続していくということ」、
こういうものが、ずーっと来るんですよね。
だから、葵祭というものを通して、「日本人の自然観、思想」というもの、ものすごく見られる。
京都におりますので、これが、本当に、毎年、 さっき言ったように、正月には奉納に行く。
六時の真っ黒暗けの中で、 ”とうとうたらり”(能の「翁(おきな)」の冒頭に唱えることば)、って、(*15)

もう闇の中に声が響いていくんですよね。本当に宗教的な感覚、いたします。 そして、
節分があって、
桜が咲いて、
賀茂のお祭りがあって、
祇園祭。祇園祭は、さっき言ったように町の祭りですけども、
こういうものが、ずーっと続いていく、と、
なんか、それが”当り前”になってるんですが、自然の中で、四季折々暮らしていく、
京都の町は、”自然に近い”、っていうことがあるんですけれどもね。
実は、今のこの地図で言うと、私の家と申しますのは、ここにあるんです。
もう200mほど歩いたら鴨川なんですね。御所も、1キロまでいきませんね、800mぐらいで行 くのかな?、という、そういうところ。
植物園とか神社とかも。本当にもう、こういった自然そのものなんですよ。街中でありなが ら。
という、そういう環境におりますのでね、幸いなことに、京都の四季の、「四季折々の感 覚」というものが本当に身近にございます。
しかし、最近、都会がどこもかしこも近代化しているけれども、こういう京都の中にある 「自然と一緒になって暮らしている」、という継続を大事にする。
こういう思想をまた気づいていただいたならば、今、いろいろ問題になるようなことの解決 策の一つになるのではないかいな、と、
いうふうなことを感じながら、京都で暮らし、能という古いものをやっております。 すいません、今日のお話はここまででございます。 どうぞ皆様よろしくお願いいたします。

 

 

(*1)〈賀茂川と鴨川〉
京都の「かも川」は、鴨川・賀茂川・加茂川、どれも正しい?
https://kyotohotelsearch.com/blog/2010/07/15/kamogawa/

(*2)山城国風土記
https://www.weblio.jp/content/%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E5%9B%BD%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98
〈weblio辞書〉

(*3)日本古典文学大系
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%96%87%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E7%B3%BB
〈Wikipedia〉

(*4)釈日本紀
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=926
〈ジャパンナレッジ〉

(*5)玉依姫(読み)たまよりひめ
https://kotobank.jp/word/%E7%8E%89%E4%BE%9D%E5%A7%AB-562926
〈コトバンク〉

(*6)丹塗矢(読み)にぬりや
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%B9%E5%A1%97%E7%9F%A2-1385717
〈コトバンク〉

(*7)火雷神(読み)ほのいかずちのかみ
https://kotobank.jp/word/%E7%81%AB%E9%9B%B7%E7%A5%9E-869824
〈コトバンク〉

(*8)可茂別雷神命(かもわけいかつちのみこと)
賀茂別雷神神社(上賀茂神社)サイト
https://www.kamigamojinja.jp/about/

(*9)「日本紀略」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80%E7%95%A5
〈Wikipedia〉

(*10)くらべ馬 毎年5月5日、京都、上賀茂神社でおこなわれるくらべ馬
https://www.agriworld.or.jp/agriworld1/umabunka/kurabeuma.html
武芸と神事の結びついた「競馬・流鏑馬」
https://www.kokugakuin.ac.jp/article/44598
〈國學院大学〉

(*11)斎王代
「斎王代」って?
https://ja.kyoto.travel/glossary/single.php?glossary_id=931
〈京都観光Navi〉
葵祭 歴代斎王代
https://www.kyoto-np.co.jp/feature/season/aoi_saiodai
〈京都新聞〉

(*12)斎王(読み)さいおう
https://kotobank.jp/word/%E6%96%8E%E7%8E%8B-507191
〈コトバンク〉

(*13)喜多川平朗
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9805.html
〈東京文化財研究所〉

(*14)喜多川俵二
俵屋十八代・喜多川俵二「千年の時を超えた典雅な織」|和織物語
https://www.motoji.co.jp/blogs/reading/waoristory-kitagawahyoji-2008
〈銀座もとじ〉

(*15)とうとうたらり
https://kotobank.jp/word/%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%A8%E3%81%86%E3%81%9F%E3%82%89%E3%82%8A-581059
〈コトバンク〉

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