「矛盾の中に生きる」 林 秀臣氏 2021 11/24

コラム紹介

林 秀臣 氏

よろしくお願いします。

きょうはこのような題なのですが、このすごく広い広がりについては、またいろいろお話しすることにして、今日は「カーボンニュートラル」に関してフォーカスした話を少ししてみたいと思います。

『地球規模の排出ガス規制』については、
こういう「地球温暖化」(炭酸ガス:GHG)の問題以外にも
オゾン層の破壊物質(特定フロン)ですとか、
「光化学スモック(VOC)」の問題とか、
それを並列的にいろんな規制が行われてきて、やっているわけですが、

例えばフロンの場合にはですね、成層圏の上のところにあるオゾン層を、フロンの構成原子が分離して、その中の塩素、あるいは臭素がオゾンを分解してしまう、という、まあ、非常に明快な理屈ではあって、これは地上でも検証されていて、確からしい、ということは確認されているわけです。

一方、VOCによるメカニズムを光化学スモック等の原因物質として挙げられて、こういうものを大気に放散すると紫外線と同調されるようになって、酸性雨だとか、光化学、まあ、この場合は     ですが、(聞き取れず)

VOCの場合には、紫外線と、それからこういう物質の共同作業によって、酸性物質だとか、オゾンとかが発生する、と。

ということで、この濃度規制に対して実験例比(?)も可能な現象として認知されてきているわけです。

一方、炭酸ガスについては、これは2018年時点で見積もられた炭酸ガス量として、
「約335億トン、世界で排出されてます」、というふうなことが言われていて、

これは歴史的にですね、10万年単位でエビデンスを抱くと、これは上がったり、下がったりするわけですが、

「人間がガスを排出するようになった以降、急激に増加してきている」、という、そのようなデータも出てるわけですね。

最近のものについては、こういう形で、大体400ppm位の濃度になっているということは言われているわけです。

一方、温度についてもですね、刻みは0.5度という非常に小さい刻みですが、全体的にはこういう増加傾向にあって、

南北半球によって、若干の差があって、
北半球の方がかなり高めに出ているけれども、ほぼ、0.5度位の内に収まって維持される、という、こういうデータが示されています。
そういうことで、エビデンスとして
「温度がどうも上がっているらしい」、ということと、
「炭酸ガスが原因であるらしい、増えているらしい」、という、
これも両方ともきちんとデータとしては取られているわけではあるわけですが、
残念ながら前二者に比べてですね、
「炭酸ガスが入ってくる光なりを吸収する効果がある」というのと、
「反射光を吸収する効果がある」、っていうのは
言われているものの、それを本当に検証する、っていうのは、なかなか難しいことなのか、明快な形でそれが示されている例を私は見ていません。
ということが、今、現状なわけですね。

こういう問題を解決するときの困難さ、としては、
「地理的な広がり」があるということ、
それから、
「時間差が非常に長い」と。
10年、あるいは100年、という時間差が出てくる、ということで、実験をやる、というふうなことに、検証?があるので、まあ、状況証拠的なあのようなもので、一応シミュレーションモデルを作って、いろいろ警鐘を鳴らしている、
というのが今の段階である、と私は思います。

ですから、カーボンニュートラルの議論について、ほとんど10年単位で、まあ、20年位の積み上げによって、「どうも確からしい」、ということは言われてきているわけですが、
「正しい認識であるか」、というところは、前二者のガスの論理、議論に比べると、若干弱い、というのが今の状況ではなかろうかと思います。
ということで、先日、加納先生が、懐疑論は云々、というお話をされましたが、そのようなことを言ってらっしゃる方もまだ結構多くてですね、
真実を言う、核心に迫ったところまでは届いてない、と、いう感じを持っています。
もう一つの問題、「状況証拠」の問題に関してはですね、原因と結果というのは、データを見るとですね、「因果関係をきちんと把握した後」に見るのと、「関係がない場合」見るのとでは大きく違ってですね、「原因」と「結果」を逆転させたとしても、同じデータが出てくるわけです。
まあ、そういうことも含めてですね、『科学的な認識』、というものを確立するためには、いろいろ傍証的な研究が必要になると、そのように思います。
ということで、この議論が合っている、間違っている、ということは脇に置いてですね、もし仮に間違っているたときにどうなるか、と。

また「間違えている意味を、完全に間違えている」、という問題、間違いと、
「正しいんだけれど、それに向けて対応が適切でない、というところで間違っている」、
とか、
いろんなレベルの間違いがあるわけですが、
いずれにしろ、これをとどめるために、やった人間の努力が報いられない、という意味で「間違っている」、まあ、そういうことですけれども。
そういう時に、”我々としては何ができるか”、ということを、やっぱり、きちんと考えておく必要があるかと思うんです。

これは、ずっと古世代から100万年のタイムスケールでのデータで、
「地上に炭酸ガスが出てくる原因を地層別に推測して出したデータ」ですが、
いずれにしろ、100ギガトン、とか、1000ギガトンとかいうオーダーの炭酸ガスの話、というのは、有り得る状況というのは地球上に存在してるわけです。

 

それで、「何が矛盾なのか」ということなのですが、
”脱カーボンを狙う”というのは何かというと
「将来に亘る持続性の確保」
であることは、これは間違いないです。
もちろんこれについては、「人間の適応能力」が片一方にあって、「自然の適応能力」もあってですね。
それらが、「適応できる種」と、「適応できない種」が混在しているわけで、そのうちの「適応できる種」が持続性を確保したとしても、まあ、それは、「持続性を確保した」、と、ある意味では言えるわけですね。
けれど、やはり、今の状況から大幅に変わって、かなりの種によって、持続性は失われる、ということになる。
やはりそれはまずい、ということになるので、それを確保するために、カーボンニュートラルの方向にいきたい、という考えを持つのは、これは極めて自然なことかと思います。

ところがですね、「矛盾」は何かというと、

我々は、”工業技術”、”工業化社会”ということで地球を眺めたときに、それを達成するために、「積み上げてきたものを捨てる」ということを必ず伴います。
そうなってくるとですね、いわゆる「資源とエネルギー消費」というのは、脱カーボンを狙わないものに比べて過大になる危険性が非常にあるんです。
ですから、先ほどの、「間違え」が仮に起きた場合には、ある期間、継続して資源を投入した結果、失われるのもが非常にありますから、そこで気が付いた時に、回復するための手だてが、非常に少なくなってくる可能性があるわけです。
そういうことになるとですね、
「そういう、アクティビティーにどれ位の資源とエネルギーを投入すべきか」、ということの関しては、もう少しきちんとして、議論をして、
「我々の活動が正しい」、ということだけで判断するのではなくて、
「間違ってた場合の代替手段として何が残されるか」、という議論をもう少しきちんとやるべきだろうと、それは私の今思っていることです。

そして、一般に「産業人」に比べると、新しい事業を起こそうとする場合ですね、必ず、初期の段階には「投入」の方が非常に多くて、それによって出てくる利益は、「投入を賄いきれない」と。
ですから、ある期間は、それで、赤字でやむを得ないでしょう、という期間があって、ある、再々分岐点を通過した以降に当初に予定した利益が上がってくる、と。
その企業の存続性が維持できて、その事業が成り立つわけですね。
この種のものが、それでは、こういう環境の問題に対して、どういうふうに描いていくべきか、と。
要するに、この、マイナスの部分の落ち込みがですね、「落ち込みがどんどん増えていくとき」に、「先の、自立の方向が見通せるかどうか」、ということがあるんですね。

一番肝心なのは「時間軸」。
企業の「事業費」については、10年程度の時間軸で、かなり明快な結論が出てきますけれども、今の100年単位の話をしたときに、そこまで見通せないうちに、どんどん追加投資をする、ということが起きないか?というふうに考えるわけですね。
ここは極めて難しい判断を強いられるであろうと、そのように思います。

ですから、こういう矛盾を含んだ中に我々が、それをどういうふうにマネーにしていくか、という、それは、非常に、これから我々が解決しなければならない重大な問題であろうと、そのように思っています。

一方ですね、関連して、ですけれども、例の「オゾン層の破壊物質」に関しては、いろいろな、このような物質があるわけですが、右足のところにあるのは”温室効果に対する影響度”で、いわゆる「炭酸ガス」に対して、何倍の効果があるか、という係数を書いてあるのですが、非常に大きいわけです。

で、数年前の見直しの時に、
こういうハイドロフルオロカーボン系(*1)のものによる温室効果ガス効果に換算として、10億トン、100億トン単位の効果が認められる、
というようなこともやられているんで、
いわゆる概覧として、こういうふうなものもある、と考えると、
”我々が炭酸ガスを減らす努力をして、それが仮に成り立ったとしても、別の概覧が入ってくる、という、そのような可能性もある”、と。
こんなことも含めて、「カーボンニュートラル」というのは並大抵なことではない、と。
その判断をしていくのは、先々のことを考えたときに非常に厳しいので、
私は「ある程度の資源とエネルギーを残した形で追究していくのが、正しいやり方ではないか」と、そのように思います。

今後の問題としては、我々はずっと真理を追究する、というような、科学の立場を基にして生きてはきているわけですが、
そういう中の「矛盾というものをなくす」という方向が必ずしも正しい方向ではなくて、
「矛盾がある、という中に、どうやって全体の幸福を追求するか」という方向に行動も改めていく必要があるのではないか、と、
特に、「多様性』という言葉を認識したときに、そういう世界に入りつつある、と、そのように思います。
この辺りは、次回以降機会があればまた議論をしたいと思います。

以上です。
どうもありがとうございました。

 

(*1)HFC(ハイドロフルオロカーボン)

経産省サイトhttps://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/ozone/outline_dispotion.html

 

フルオロカーボン(炭素とフッ素の化合物)のことを一般的にフロンと言います。
そのうち、CFC(クロロフルオロカーボン)とHCFC(ハイドロクロロフルオロカーボン)がオゾン層破壊物質です。
また、HFC(ハイドロフルオロカーボン)のことを一般に「代替フロン」といいます。HFCは塩素を持たないためオゾン層を破壊しません。しかし、代替フロンは二酸化炭素の数百倍~数万倍の温室効果があり、地球温暖化の原因になるとして問題となっています。

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