2020年3月現在、コロナウイルス対策として大相撲やプロ野球のオープン戦、さらに世界的にはオリンピックの予選大会のいくつかが「無観客」で行われており、オリンピックの開催そのものも危ぶむ声も出てきています。
この事態をむしろ積極的にとらえて、オリンピックなどの新たな観戦形態に挑んでみてはいかがでしょうか。つまり、観客は直接アスリートの戦う空間近傍で声援を送るのではなく、スポーツバーや家、学校などで仲間や友人たちと一緒に、生中継されるプレーに声援を送る。そしてその様子が、アスリートを取り囲む、多数の大型LEDビジョンにかわるがわる投影される。もちろん声援も様々な国の言葉がスピーカーを通じてアスリートの耳に届く。
オリンピックが世界中の人がひとところに集まる祭典なら、これは、空間を超えて人々が感動を共有できる祭典。これをTelelympicと呼びましょう。
そのイメージを図にしてみました。
例えば、観客席であった部分などを生かして、大型LEDビジョンを多数並べて、そこに世界中の人たちが、適切な管理者のもとに事前登録し、リアル映像と音声で参加する。その画面はどんどん切り替わっていき、世界中の顔が現れる。アクセス者側には、背に行ったアクセス者グループの映像をサブウインドウにセレクトさせて一緒に応援することもできるといいだろう。居ながらにしてスタジアム感覚を、しかももっと広範な規模で味わえる新しい応援・観戦の形態になっていくのではないだろうか。
それを支えるインターネット技術やディスプレイ技術はすでにある。このような機会にこそ、されをシステム化して観戦・応援という形でのスポーツ参加に新しい方向性を切り開くべきではないだろうか。
おもえば、1964東京オリンピックに向けて衛星放送による世界同時中継が可能になった。(その試験放送の第一報がケネディ暗殺であったが..) それ以前1924年のパリ大会でラジオ中継が始められており、第一回のアテネからほぼ半世紀を来る頃に、メディア関係の新たなイノベーションが起こっている。
その進化の速度から比べると、今回は遅いぐらいである。情報化、IT, IoTなどと騒がれる現在、自粛した「無観客」ではなく、より多くの人が居ながらにして参加できるTelelympicに積極的に挑戦してはどうだろうか。
2020年3月3日 原田 筆