2025-05-13
美とか価値とか面倒くさい 〜残存価値とバブル価値〜
海老原 誠治氏
”〚美〛とか〚芸〛とかというのは、あと、〚芸術〛というのも付け加え、〚価値 〛とか面倒くさい”、ということで、
”〚残存価値〛、〚バブル価値〛”、というのをちょっと考えたいと思います。
最近やっぱり気になるのが、
”〚美〛とか〚アート〛だとか〚作品〛だとか、あえて仰々しく言っているんじゃ ないの?”、というようなことが、”耳障りだな”、というのがありまして、
これについて考えてみようということです。
あとは、特に、環境屋なんかも、すぐ、なんだかもう、〚美〛だとかいう。
〚美〛を否定するものではないんですけれども、これで、”なんか、何となく、か っこよさそうな言葉でごまかしていないの?”、みたいなこともよく考えたりして ですね、
ちょっと、以前〚美〛のことを一度、2年ほど前に、私、話しているんですけども、 それを焼き直しながらちょっとお話したいと思います。
”〚美〛とか〚芸術〛とか〚アート〛だとか〚作品〛だとか、一体何なんです か?”、というときに、
基本的には〚アート〛というのは、語源は「技術」になります。 「アーキテクチャ」とかですね。建築とかに繋がる部分です。
”じゃあ、今はどんなふうに捉えられているか”、というときに、
いわゆる〚美〛とか〚芸術〛とか、もう、「簡単な書きもの」であれ、「音楽」で あれ、何でもかんでも〚作品〛とか言ったりして、何か芸術性を見ていたりするん ですが、
”〚匠〛とか〚工芸〛とは何ですか?”、ということを、ちょっと例を挙げてお話 して、ちょっと皆さん考えてもらいたいと思います。
昔、私、焼き物やっているときに、〚ファインアート〛(*1)というのをやって る人、メリルリンチの表彰を作っていたりして、ちょっと飲み友達だったんですけ ど、よく議論をしてる中で、
”〚工芸〛なんて、純粋な〚アート〛じゃないよね”、みたいな話がされたりもし た。
ところが、いわゆる〚ファインアート〛とか〚抽象美術〛とか、
”彼らは〚アート〛をやっている、自由なんだ!”、みたいなこと言われるけれど も、じゃあ、キャンバスに拘束され、いわゆるキャンパスだとか、あと紙だとか、 そういうメディアに拘束されていますよね。
”そもそも〚ファインアート〛と言っても、「表現したいもの」と「表現されたい もの」に差異がある以上、〚ファインアート〛も半端だよね”
じゃあ、”半端がいいのかどうか”、というときに、
そもそも、〚美〛とか〚芸術〛って、半端でいいんじゃないの!?”、
”拘束がある中で、半端な中で、どう表現するか、が〚美〛とかじゃない の!?”、
みたいな、こんな議論をやっていたこともあります。
あと、いわゆる〚美〛っていうものを表面的に追求してない形であっても、
例えば、〚用の美〛だって、”洗練された〚機能美〛”みたいなことがあったりし て、
”「所作」にだって〚美〛はあるよね”、という、「所作」、「動き」 にもあるし、
いろんな〚付加価値〛がなくても、〚付加価値〛がないと言ったら変ですね、 ”「食べ方の仕草」だとか、いろんな「仕草」”にも〚美〛があったり、
”〚美〛だとか〚芸術〛、追求してなくても、いろんな雑居の中にも〚美〛という ものがあるよね”、ということは、古来から言われていて、
こういう〚美〛もありますよね、と。
そういうような、「気どらない〚美〛」というものに美を見出した動きでは、 「民芸運動」だとかですね、[はまだしょうじ]だとか、(*2) 岡倉、何だっけな、ちょっとファーストネーム忘れて、岡倉天心さんだとか、 そんないろんな方々がいらっしゃいます。
いろんな、”その素朴さの中にも〚美〛があるよね”、と言った人もいる。
結局、濱田庄司さんは、あんまり大きな声で、私、言うのもはばかられるけど、結 局、”民芸運動”、”素朴さ”、とか言いながら、自分のものを〚作品〛とか言っ て、高いお金で売った、ということで、”この人何なんだろう!?”、と正直思う んですが、こういう「民芸」に美を見い出す人もいる。
そういうふうにしてみると、
いわゆる、[ゴッホ]だとか[モネ]とか、[レンブラント]にしても、 ”これって、じゃあ、〚美〛なんですか?”、と、
〚美〛で別に否定はないんですけれども、
じゃあ、「リトグラフ」だとか、
いわゆる「ポルシェ」だとか、
いろんな、例えば、「法隆寺」と「都庁ビル」、
こういうものって〚美〛なのかどうなのかと考えると、
非常に、”〚美〛だとか「製品」だとか「商品」の中で、そんなに境界はないので はないですか?”、と、
そもそも〚美〛なんてそこら辺にいっぱいあるんじゃないの、ということで、
[ゴッホ]なんかは、「すごく売りたかった。でもたまたま売れなかった」。
だからそういう中で、ちょっと、なんか、”孤高の美術家”として扱われているけ れども、彼としては、普通の絵描きをやろうとして、ああいう形で、たまたま売れ なかった、とかですね。
[モネ]なんかはですね、すごい〚アート〛だ、〚アート〛だ、とかって言われて いるんですけれども、大量に製作していますね。自己模倣をいっぱいしている。
[レンブラント]なんかも工房です。ちょっとした”ファクトリー”です。
で、[写楽]、[歌麿]というのは、大量に刷られたものであったり、”リトグラ フ”というのもあんまり変わりませんよね、とかですね。
そのときに、
”[ライカ]とか、そういうものというのは〚アート〛ですか?”って。 その延長で、
”今まで、いわゆる100円ショップで売っているものも、雑貨にしたって〚アート〛 と言っておかしくないんじゃないか?”、と、
こんなことを考えつつ、〚美〛って考えると、
いわゆる〚作品〛だとか、〚アート〛だと言っているものというのは、かなり虚像 と、”敢えて言うこと自体は虚像であるんじゃないか?”、ということが、今回お 話したい第一点です。
で、いろんな〚美〛っていうものの中には、いろいろ、〚機能美〛、あと、そうい う「プロダクトデザイン」という中で、思想的な「設計思想」なんかも〚美〛とし て捉えられていて、
Appleなんかというのは、非常に、その「設計のデザイン哲学」というのがしっかり している。
こういう道具類。はっきり言っちゃえば「道具」ですよね。
「道具」の中に〚美〛というものも見出す人もいるよ、と。
じゃあ、逆に言うとですね、
いろんなところに〚美〛が隠れている中で、〚アート〛とか〚美〛とか〚芸術〛と か、いろんな言葉があるけども、
”〚美〛でないものってあるのですか?”、と、〚芸術〛でないもの、〚アート〛 でないものあるのですか?”、
ということを、ぜひ皆さんに考えていただきたいのです。
〚美〛とか〚芸術〛を否定しているのではないのです。
〚美〛だとか〚芸術〛だとか、なんか、そういう言葉で、今日使う一つのキーワー ドは、『バブル』なんですけど、
”『バブル』で捏造された〚価値〛ばっかり気にしているけれども、基本的にはい ろんなところに〚美〛があるのではないですか!?”、
ということを、一つのお話としてご提案させていただきます。
あと、”〚美〛は、じゃあ、どこにあるんだ?”、という議論を、昔、した人がい まして、
例えば、よく、”「朝日・夕日」と「月夜」”お月さん”、どっちが美しいです か?”、と。
同じ〚美〛が存在しているんだったら、万人が全て同じように「月」だとか、 「月」よりも「太陽」が美しいのであれば、誰もが、”「太陽」が美しい”、と、 みんな、”「月」はいまいちだ”、と言うわけです。
でも、これって人によって価値感がある以上、同じ〚美〛が、「太陽」だとか 「月」にそれぞれ定量の〚美〛があるはずはないんです。
そうすると、こういうことを考えていた人が、
”実は〚美〛が相手によって変化するわけではないので、
〚美〛は人の眼にあるのではないか”、と、青山次郎(*3)という、骨董を集め ていた、なんか”数寄者”と呼ばれるような人たちですけれども、(*4)
青山次郎だとか小林秀雄というものは、
”〚美〛の主体っていうのは、「美しいと感じる対象物」にあるのではなくて、 「美しいと感じた個人」、自分にあるよ”、と、(*5)
”人によって、「どれが美しい」、とか「美しくない」と判断する以上、もの(対 象物)には宿ってないよ”、と、
〚美〛を感じた、それを青山次郎は「眼」と言っていたんですが、「愛の目」です ね、と言っていたんですけど、
”〚美〛というのは自分にあるんだよ”、
こんなことを言っております。
こうやって見ると、よりですね、いちいち売るものに、〚作品〛だとか〚アート〛 です、とかっていうのって、もう本当にどうでもいいことだなって、思ってきたり します。
ただ、この中で非常に厄介なのは、
例えば、骨董でいうと”真贋”。
”「本物」だから、すごい、好き”、とか、”「贋作」だからいまいち”、と、
区別つかなくても、そういう[保証書]があったり、「偽もの」だって言われたり したら価値を感じなくなったりもするわけです。
こういうような、非常に ある意味 ”安っぽいような”、”俗物的”って言われる ような部分かもしれないけれども、
多くの場合というのは、〚美〛とか〚芸術〛とかと別途、
”「希少価値に伴うような経済的価値」だとか、「独占欲」、あるいは「自己顕示 欲」、こういうのが混ざって存在していて、
多くの場合は、乖離無理じゃないですか?”、
ということで、
これもこれで、一つの〚価値〛なのかな、と思ったりしています。 では、そのままでいいのかというと、難しいので、
じゃあ、こういうような「独占欲」とか「自己顕示欲」がないような〚アート〛と いう部分もちょっと考えたときに、何が見えてくるかということで、
「プリミティブな表現」、「プリミティブアート」だとか、
「プリミティブな」、「打算がないもの」っていうものをちょっと考えてみたいと 思います。
例えば、子供が描いたものだとか、いろいろ、いろんな、「手混ぜ」とか、「手ぐ せ」とか、「手遊び」とかいったり、いろんな遊びだとか、子供がいろんなものを 詰めて、
大人になっても、”何となくこれが心地いい”といって、何のその「自己顕示欲」 にもならないし、「経済的な〚価値〛」を伴わない、いろんな活動がある。
”実は、そういうところに〚美〛は存在しているんじゃないだろうか”、と。
人に決して見せない、「日記」とかですね、そういうような、「個人的な活動の部 分」に比較的プリミティブな部分って、あるかもしれない。
例えば、そんな中で、
昔の人たちは「経済的〚価値〛がない」「呪術的な〚価値〛」がある場合もあった り、ないときもあるかもしれないけど、こうやって壁画を描いたり、
例えば、こういうような遺跡、
これに関しては、「呪術的な〚価値〛」を見出していたかもしれないけれども、そ の中で、”◎に対しての独特の想いを感じていたり”、とかですね、
そういうような表現というのが、昔の中ではあって、完全にプリミティブと言って いいかどうか、という議論はちょっとありますけれども、
そんな中で、北原ミレイの[石狩挽歌](*6)では「古代文字」とあえて言われ ていますけれど、(*7)
北海道にある「フゴッペ遺跡」(*8)とかって、
こんなふうにですね、「人」というものを刻んだりして、何らかの自己顕示欲の延 長かもしれないんですけど、少し本能的に、何かマーク、訴えていたものがあるか もしれない、
こんなことが一つの見本になるかもしれないな、と、
わざわざこんな、中国の花山(ファーザン)壁画(*9)というんですけど、
ここ、行ったときには、本当に高い壁にこんな表現をしたり、
こういうような表現もあったりする。
あと、〚ファインアート〛の芸術的な例の1個として、
こうやって、「自分の手形を押す」だとか、「手形に対してスプレーを吹く」とか ですね、
こういうような、「negative hand」というものとかもあったりするんですけれど も、
「昔の遺跡」だとか、そういう部分。
あと「子供の遊び」とかには比較的、「原始的な美術」があって、その中に”プリ ミティブなもの”というものも多く存在するのかな、というふうに考えておりま す。
こういうような、「商業的〚価値〛」とか、「自己顕示欲的な〚価値〛」というの が少ない部分にも〚美〛というものがあるのであれば、
これというのが、基本的に”健全か不健全か”、というよりも、
”純粋な〚美〛のみの”、”純粋の〚美〛の割合が高いもの” かな、と考えたりし ております。
こんなふうに考えると、
”〚美〛とは何だ?”、というと、
”〚美〛というのはどこにでもあるのではないですか?”、というのが、 一つの、私の今回の話なんですが、
その中に、「商業的な〚美〛」だとか、「商業的な〚美〛」というのは、経済的に 過剰に〚価値〛を増加させて、増幅させて『バブル』みたいな部分、
あと、「自己顕示欲的な〚美〛」、自己顕示欲的に、”これって素晴らしいよ ね”、みたいなことを、インテリが、インテリであるためにバブルされたような〚 美〛というものがある一方で、
「プリミティブな〚美〛」というものがないと、
単純に〚美〛という、いわゆる”商業的な演出に踊らされたようなもの”になって しまうのではないか、ということが一つの考えです。
この中で、じゃあ、〚残存価値〛をどう考えるかなんですけれども、
〚残存価値〛も同様に、いろんな、その「匠的な技術」とか、いろんな技術がある んだけれども、それは正当に評価しないと、
バブル的にものすごい、”芸術的な活動”、”芸術的なセンス”によって生み出さ れたので、
例えば、プラスアルファでなく、もう過剰な金額で、増幅されるようになってしま うと、〚そのものの価値〛というのを失ってしまうのではないかと、
ですから「バブルされない〚価値〛」というものを考える、
「プリミティブな〚残存価値〛」と考えると、
[原価+人件費+ほどほどの技術加算料]というのが、やっぱり必要なんじゃない か、と。
この間も、何新聞だったかな。日本の企業の、一つの会社内での給与格差、 最大が74倍だったかな、一番安い人の平社員、
同じ会社でも74倍給料の格差があるとかって、それを健全、何て言うのですかね、 前向きに捉える人もいるんですけれども、
本当に〚人間の価値〛だとか、〚仕事の価値〛に差があるんだろうか。 「頑張れば儲ける」、それは当たり前だし
才能がある人がそれなりに〚価値〛は取ってもいいけれども、
その範囲は、せいぜい、10倍とか、その程度の範囲じゃないですか?と、
ちょっとずるく、うまくやっただけで、例えば億万長者だとかですね、億万ドル長 者がいるっていうのはおかしいんじゃないかな、とか思いつつ、
そういうような中で、「技術的な〚価値〛」、〚残存価値〛というのも、
”適切な価値判断”というものが、ものすごく難しいな、ということで、
アートにおけるような、”『バブル的な』「何か、根拠のあるような、無いような 〚価値〛」のように、
いろんなものの〚残存価値〛というものが増えてしまうと、ちょっとイヤだな、と いうことで、今回〚美〛についてテーマで話題提供させていただきました。
以上です。
(*1)ファインアート
ファインアート(Fine Art)とは何
〈身につく教養の美術史〉
(*2)はまだしょうじ
濱田庄司
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%B1%E7%94%B0%E5%BA%84%E5%8F%B8 〈Wikipedia〉
(*3)青山次郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E4%BA%8C%E9%83%8E 〈Wikipedia〉
(*4)
青山次郎
眼の哲学・利休伝ノート

〈松岡正剛の千夜千冊〉
(*5)小林秀雄 美について
小林秀雄の「美学」と現代
南谷覺正
https://gunma-u.repo.nii.ac.jp/record/1094/files/GJOHO-10.pdf 〈情報文化研究室〉
(*6) 北原ミレイ 石狩挽歌
石狩挽歌 ~ 失った時代へ哀惜をこめて ~

(*7)古代文字
余市町でおこったこんな話 その76「古代文字」
https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2010/sono76.html 〈余市町〉
(*8)フゴッペ洞窟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9A%E6%B4%9 E%E7%AA%9F
〈Wikipedia〉
(*9)花山壁画
左江花山の岩絵の文化的景観
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E6%B1%9F%E8%8A%B1%E5%B1%B1%E3%81%A E%E5%B2%A9%E7%B5%B5%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E7%9A%84%E6%99%AF%E8%A6%B3 〈Wikipedia〉
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