「見えざる世界」 林秀臣氏 2022 2/17

コラム紹介

林 秀臣 氏 〈NPOエコデザイン推進機構 理事〉

 

それでは、今日の話を届けさせていただきます。

こういう話で少し抽象的だという話を聞いたんですが、意図するところは、お話の中で説明していきたいと思います。

この「問題認識」なんですが、基本的にですね、やっぱり、SDGsの中の「Development」”発展”というところがずっと前から気になってまして、”こういう言葉を本当に入れなきゃいけないのかな?”というのが、今もってちょっと疑問なんですよ。
この「発展」という、このキーワード入れるっていうのは、「もう何も全部なくなっちゃったから、新しいものを見つけて、それを有用なものに変えていってどんどんその利便性を高める」、というのが、やっぱり後ろにあるんじゃないか、と思って、だから、それをやっていくためには「見えないものを何とか見えるようにしていく」という、それがベースの能力であって、そして、見えたらそれが、「役立たないものか、役立つものか」、そのようになって、「役立つように何とか知恵を絞っていきましょう」と、”そうすれば、皆がhappyになりますよ”、という、そんなことなんではないかと思ってるわけです。
それの、やっぱり地球規模的なもので考えれば、「広域の観察力」である、これは移動手段だったりするわけですが、航空機を使ったり、人工衛星を使うというようなこともあるわけですけども、で、そういう手段を使って、「もの、場所の特性を認知する」、ということがあって、そのための、”どういうものか?”、ってわかるための「感知の手段」があって、「知った情報を伝達」していって、それで多くの人が「共通認識」を持って、”こうだね”、となると。
さらに、それを本当に使う段になると、”集めたもの、データをで「関連付ける」”と、それには”どこで得たもの、いつ得たもの”、という。そういうその「属性を付加して送り出す」、と。
で、送り出したものがどっかにいったときに、それを基にしてそこに含まれた他の属性をいろいろ処理をして、それで、”ああ見えた”、と、まあ、”よかったね”、ということになって納得する、と。
まあ、そういうプロセスをたどっていくんだと思いますね。
だから、こういうものはですね、今の時代、非常に発展してきて、まあ、皆さん、今のような世界が出来上がってるわけですね。我々が話をする、というのも、こういうところの一部の機能を使って、「情報を共有」して、それで、いろいろ活動してる、ということになるわけです。

で、これはGoogleマップのストリートビューというものを集める車なんですけども、私も自分の住所は入れてみて、あっと驚いたんだけども、玄関のところの景色が見えたりするわけですね。
ということは、こういう車でワーッと歩き回ると、全然無関係ない人が、今ある状況を認識する。もちろんそれはタイムラグありますから、1年も2年も遅れての情報であるという、と、そういうことがあって、それが救いにはなってるわけですね。
いずれにしろ、そういうことがあって、遠くで見えなかったものが見えるようになっちゃうんですね。
それを今度は別の手段として、

ドローンは、車で道路を走れなくても、上からこう見ますから、だから、上空からの景色をですね、収集していろんなことが使えると。
まあこれは、いい利用でね、農業生産に対してですね、活用した例なんですけども、いずれにしろ、ある離れたところにいる人が、そこに行かなくても見えますよ、とまあ、そんなふうになるわけです。

で、それを地球規模にやるっていうのは、例の探査衛星ですよね。地球をぐるぐる回っていくから、地球を一日に何回も回って、観察するわけです。
これがあるおかげで、別の軍事目的のスパイ衛星みたいなものを使うと、北朝鮮が核実験をやってるものも、(タイミングの問題があるけども)、見つけ出すことだってできる。だから、だから、隠れて悪いことはできない。
そんなふうなことになって、地球規模にそれを見えるようにしてるわけですね。

資源の分野でいくと、今言ったこちらの探査衛星のレーダで探す領域もありますけども、深海に潜って、それで、海底にある資源を見つけ出してきてそれを採掘をしてして使う、という、まあ、こんな面で、海の底は見えない海底がちゃんと見えるようになるわけですね。
こういうふうな地球規模の問題に対して、非常に技術の進歩によって、見えるようになっているわけですね。

あと身近なところでいくと、「遠隔医療」って、お医者さんが1人だけいて、患者さんがいろんなところで分布しててもいろんな状況をみながらですね、診断を下す、と。だから、あたかもそこに、近くにいるような体制があるので、できるようになってきているわけですよね。

 

こういったのは、実際にその間装置?を置いて診るという大学も増えたんですが、実はこれ以上にまた、能力を発揮してるのが、「シミュレーション」ですね。計算で見る、ということ。
極微の世界であっても、地球規模であっても、宇宙規模であっても、その時点の知見を基にして、計算式のものは全て、どんな状況、になってるか、っていうのを、推察した議論に基づいて計算して出す。
だから、例えば、生体内の現象なんかもよくこういうふうに出てて、「タンパク質の反応」なんかを見る世界の人たちは、動画によってすごい、何というか、臨場感のあるシミュレーションをやられるんで、自分があたかもあそこにいるようなものが出てくるんですけども、どうやって見るの?、ということをまず疑ってみると、いや実は、それはシミュレーションでした、と、そういうものが結構あって、、
だから、「計算で見る世界」っていうのは、直接そこにセンシングをしなくても、何か遠隔地で求めた情報をもとにして、見えるようににしちゃう、と、だから宇宙規模から、極微の世界まで、我々人間は見えるようになってきてて、「見えざる世界」っていうのがどんどん実は、無くなってきて、何か、”自分が全部見てる”という”錯覚”に陥るような状況になってきているわけですよね。

そういうことを含めて今、Society5.0なんかで、サイバーフィジカルの世界を捻出するためには、情報環境が重要だ、ってことで、総務省で、例の5Gの後、6Gに向けて、どういう情報インフラを作って、それでどんなふうな情報処理をして、どんなふうにして合理化するんだと、便利にするんだと、いう絵を描いて、まあ、ここ間違えないようにしようね、と。中国なんかに先に越されないように、しっかりやりましょうね、というようなことを、今やってるわけですね。

まあ、そんなことで、

この前ちょっとご紹介ありましたけども、そのインフラを作るために、これは、ちょっと5Gなので、6Gのほうは、もうちょっと、複雑になってくるんですけども、地上に張り巡らされた光ファイバーとかそういうネットワークと、無線環境っていうのをシームレスに繋いで、ものすごい大量の情報を広域から集めて、中央のプロセッサーで処理をして使う、と。
これがないと、自動運転の車は走りませんね、と、そんなふうな話も出てきたりするわけですけど、要はこういうことをして情報空間を広げて、見えない世界をどんどん少なくして、見えるようにしちゃって、どこでも誰でも、自分のいる状況がわかりますよ、というふうなことを作り上げてきてるわけです。

で、それを支えるためには、やっぱり通信、一番ベースにあるのは「情報伝達の情報インフラ」で、めちゃくちゃなスピードでですね、電送速度が上がってきているわけです。

で、なると、これを動かすのは実はエネルギーが要ってですね、

これは、エネルギー予測?ですけども、Nicolaさんっていう人がここで書いた、Anders Andraeという人が、 ?2020で出したデータをもとにちょっとまとめてますけども、(*1)大体その情報処理に、関わるエネルギー、というか、電力使用量というのは、全世界のエネルギーの10%まできました。あとこれから、ここのこのカーブを外挿(*2)していくと、どんどん どんどん、情報処理ギガの電力消費が増えていく、と。
そんなことでですね、せっかくこれを使うことによって、エネルギー消費、電力消費が減っても、自分自身が消費をすることによって、全体としてどうなの?、っていう状況になってきてですね、もちろんこういう世界に生きてる、GoogleだとかAppleとかっていうのは、Renewable Energy(いわゆる、再生可能エネルギー)をメインにして使うということで、化石燃料由来のものをできるだけ使わずに、それこそ〚カーボンゼロ〛でやります、なんていうことで、相当程度、それの事業を増やしてるんですが、まあ、いずれにしろ、そういう情報インフラを動かすためのエネルギー消費、という話が、全体的に出てきた、そういうふうなことなんですね。

世界の、2018年では、20,000TWh(テラワットアワー)、そのうち2,000TWhがICTセクターです。データセンターの中で、ハイパースケールデータセンターというのは、2020年段階になると、これはさらに急拡大してその半分を占める、要するに、ものすごく高性能データ処理のセンターなんだけども、実はエネルギーの需要は増えていきます、ということになっております。
この他にも、Bitcoinが増えてきたりして、変な需要が増えているんですね。

こういう中で、本当に、まとめとしては”「知る為、見る為」の技術が、非常に急拡大している”ので、その為の消費(物質。エネルギー)も拡大している。
だけど、”本当に全てを見てるのだろうかね?”、というのは私の大きい疑問なんですよ。ニュートンが有名な言葉として、”海の真砂のあれに比べたら、そこに針が一本落ちているのを見つけるようなものだ”、(我々は、海岸で貝殻を拾って遊ぶ子供のようなものである。真理の大海は、海の彼方にあるのかも知れないのに)?(*3)というような話をされてますが、実際にそういうふうなことに近いんですよね。
だから、ある理論を立てて一つの方向性を出したときに、全世界の人が同じ基準で考えて、行っていいのか?と。先に進んで本当にそれをやった人が責任能力を、考えたときに、限界を超えていないのか?ということに対して、やっぱり反省が要るんじゃないかと。
まあ、今の人っていうのは、どっちかというと、かなり「自分の能力」、「科学技術の万能」にかなり毒されてきて、”何でもわかっちゃう”、という前提で、いろいろ判断してるきらいがあるんですけれど、やっぱりもう少し謙虚に行動すべきじゃないかな、っていうのは、私の思いなんですね。

前回、『矛盾の中で生きる』ということで、いろんなお話をして、結局、「一つの真理をを一つとしてやると、いろんな矛盾、コンフリクト(意見・感情・利害の衝突。争い。論争。対立)が出てくるから、そうじゃなくて、”矛盾は矛盾として、ある範囲でもって、成果を共有する”、っていうことをやっぱり目指すべきではないかな」というのは、私の根本にしますけれども、こういうことから考えて、「一つにまとめて全部を走っていく」という、そこはある程度、やっぱり余裕を持って、そこは「ある限られた領域のエネルギーを注入して、他で知らないところをもっとこう探していく、という謙虚さを持っていく」必要があるんじゃないか、と思っています。

で、結局、『観測の限界』としては物性上のの問題、物質構造上の問題、もちろん、量子学的な限界、観測時間の限界、というのもあり、だから全部知ろうと思ってもわからない。

例えば、宇宙から見ても、四六時中見るわけにはいかないわけですね。ある時間差を持って見てますから、その間に何が起きてるか、っていうのは、全く知らないで、点でサンプリングして見てますから。広い領域を同時に見る、ということは、本当にできないわけですね。これは、最近の生活で、散歩してみてわかるんですけれど、自然の、我々に見せる顔っていうのは、時間によってすごく変わるわけです。しかも自分の足元がどういうふうになってるかなんて、自分もわからなくて、その上を歩いてたりするわけですね。

だから、そういうところで、「物質を見る」ということを超えてですね、人間の究極の目的を考えたときには、いろいろ問題があって、逆に、幸せを考えたときに、全てが見えるのが本当にいいのかね、と。これは、それぞれ考えてる世界が違うのに、どっからか、その他の人の世界に入り込んで暴く、というのが本当にいいのか?、そういうふうなことも含めてですね。ある程度の、その未知なる、知らざる正解がある中に、どう、みんなの共通の合意を得て新しい世界を創っていくか、それだけの度量というものがやっぱりなければいけないんじゃないか、

というのが、私の今日の結論でございました。

以上、そういうことで、抽象的な話かもしれませんが、私の現状認識として、ちょっとお話しいたしました。

 

 

 
 
 
(*1)How to stop data centres from gobbling up the world’s electricity
 
(データセンターが世界の電力を食いつぶすのを防ぐ方法)
 
https://www.nature.com/articles/d41586-018-06610-y
 
 
(*2)外挿
外挿(がいそう、: extrapolation)や補外(ほがい)とは、ある既知の数値データを基にして、そのデータの範囲の外側で予想される数値を求めること。またその手法を外挿法: extrapolation method)や補外法という。対義語は内挿や補間。
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E6%8C%BF

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
(*3)アイザック・ニュートンの言葉
I do not know what I may appear to the world, but to myself I seem to have been only like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself in now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
https://en.wikiquote.org/wiki/Isaac_Newton
〈ウィキクォート Isaac Newton〉

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